歴史的発明!自動製麹機の普及が本格焼酎の造りを大きく変えた!!

 

今回は、③ 自動製麹機の普及についてお話します。

このシリーズにおける最後の項目となりました。

まだ①製造方法の発展」「②黄麹菌から黒麴菌、白麹菌への」推移を読まれていない方は是非こちらを先にお読みください。

 

造りにおける大きな変化
① 製造方法の発展
② 黄麹菌から黒麴菌、白麹菌への推移
③ 自動製麹機の普及

 

それでは始めます!!

 

自動製麹機の普及

1.これぞ職人技

 

まずは自動製麹機を使用しない焼酎造りについての説明をします。

本格焼酎のラベルに「手造り」「手造り焼酎」「本手造り」などと表記してあるのを見たことはないでしょうか。これは正に自動製麹機を使用していない焼酎の証です。

ではここで「手造り」焼酎について抑えておきましょう。「手造り」焼酎とは以下の条件で造られた焼酎のことです。

製麹工程で、麹室にて麹蓋を用い、機械の力を借りることなく自然の換気および通気と手入れ攪拌によって麹を造る。その麹を基に単式蒸留機で造られた焼酎のこと 』

一つ一つ整理していきます。

製麹とは、(米)麹を造ること。(40時間~42時間かけて造る)

麹室とは、製麹を行うための部屋のこと。(麹菌を繁殖させるため、27度~28度の一定した温度と70%前後の一定した湿度が保たれる。)

麹蓋とは、麴菌をまんべんなく種付けされた蒸し米を入れる小さな木箱のこと。(これを重ねて保管する。箱と箱の間に隙間があるのでその間を湿った暖かい空気が流通することで麹菌が繁殖する。)

ここにとてつもない技術と労力が必要とされることが想像できるでしょうか。

麹菌はその名の通り菌なので温度や湿度によりその繁殖が左右されます。当然昼と夜中では温度が違います。これを一定に保つために機械の力を借りて行えないのです。

麹室には多くの小窓があります。この窓をその日の天候などに応じて開け閉めすることで、麹室の温度と湿度を調整するのです。これを麹が出来上がる40時間~42時間ずっとです…。

多分、「手造り」という表記を見逃していた人もいたと思います。この文言がラベルに記載されている焼酎の造り手さん達は上記のようなちょっと考えられないようなお仕事をされているのです。

 

 

2.自動製麹機の普及によって得られたもの

 

もうお分かりだと思いますが、自動製麹機は上記の製麹工程を一括して行ってくれる装置のことです。

「手造り」による手法は杜氏の腕がものを言います。これは前項を読んで頂ければ分かって頂けたと思いますが、まさに職人技です。本当に凄いことだと思います。

しかし、蔵の「安定創業」という点において自動製麹機役割は非常に大きいと想像できます。

何が正しいかという問題ではありません。
自動製麹機が業界にもたらした製麹工程の自動化、これは「手造り」と同じくらい凄いことだと思います。

「一に麹」という言葉があります。

皆が認めるこの大事な工程を安定させることで、本格焼酎の製造が確実に効率的になったことは間違いありません。

 

 

3.自動製麹機の発明者

 

自動製麹機の開発者は前回お話ししました河内源一郎氏の娘婿であり、株式会社 河内源一郎商店の3代目社長の山元正明氏です。

尚、山元社長は、「NK菌(ニュークロ菌)」の開発もされた方です。新しくできたこの黒麹菌はかつての泡盛黒麴菌のような欠点はなく、焼酎の更なる品質向上に大きな役目を果たし、今も多くの焼酎に使用されています。

これらの開発は、本格焼酎の、造り手の方のことを本気で考えた山元社長にしかできない偉業と言えます。

自動製麹機を開発された山元社長は、以下の大変、意味深長なお言葉を残しています。

 

“ 大事なのは麹だ。機械に頼っておろそかになってはならない ”

 

いろんな捉え方があると思いますが、初めてこの文言を目にしたとき、今尚「手造り」を行う蔵元さんに対する敬意が込められてるお言葉だと僕には感じられました。

山元社長は、2013年7月18日、お亡くなりになりました。僕はお会いしたことはありませんでしたが、造り手の皆さんが「山元先生」と呼ばれていたのが印象的でした。自社だけではなく、この業界に大きなものを残された方に対する自然な呼び方だったのだと思います。

本格焼酎は人の手、微生物による自然の力はもちろんのこと、機械の力も融合され、出来上がります。

しかし、絶対に忘れてはならないことがあります。それは、ここに人の血が通っているということです。本格焼酎を想う方々の心と歴史が一本の焼酎には込められているのです。

 

 

最後に

 

3回に分けてお話ししました。
ちょっと長かったと思います。ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました!!

ですが、最後にもう一つだけ…。

①の「製造方法による発展」と②の「黄麹菌から黒麴菌、白麹菌への推移」で出てきました「泡盛」について少しお話させてください。

読んで頂いた通り、本格焼酎の発展のキーは泡盛にありました。

泡盛が琉球で本格的に造られ始めたのが1400年代後半です。時は経ち、1609年、現鹿児島県の島津藩は琉球を制圧し、植民地化します。更に時は経ち、泡盛の製法、黒麴菌が鹿児島に伝わったのが丁度1900年頃です。

島津藩が琉球を制圧してから泡盛の実態が鹿児島に伝わるまで、実に300年かかっています。ここに大きな疑問が生まれます。なぜ、こんなにも時間がかかったのか…。

一説には、琉球王朝が泡盛の造りに関する情報を決して外に漏らさなかったと言われています。例え武力に屈しても、泡盛だけは守ったということです。それだけ琉球王朝にとって泡盛という存在は大切だったのです。

長きにわたり泡盛を守ってきたこともさることながら、琉球王朝の意地とプライドには脱帽です。

今、焼酎と泡盛は当たり前のように並んで酒屋さん、飲食店さんにありますが、歴史を考えるとこれは決して当たり前のことではないのだと思わされます。

この記事を書いていて、人の力の強さと焼酎、泡盛の歴史の重さを改めて感じることが出来ました。

次回は、泡盛についてもう少し踏み込んだ説明を致します!!


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