「黒麴菌」「白麹菌」の歴史!!たった一人の人物が歴史を変えた!!

 

今回は、② 黄麹菌から黒麴菌、白麹菌への推移についての説明をさせて頂きます。

まだ「① 製造方法の発展」を読まれていない方は先にこちらをお読みください。

 

造りにおける大きな変化
① 製造方法の発展
② 黄麹菌から黒麴菌、白麹菌への推移
③ 自動製麹機の普及
(尚、③ 自動製麹機の普及については次回しっかりとお話しします。)

 

それでは始めます!

 

黄麹菌から黒麴菌、白麹菌への推移

1.当時の造り手が抱える共通の悩み

 

「モロミの腐敗」
これは当時の焼酎業界において造り手の皆が抱える深刻な問題でした。せっかく造った焼酎のモロミが腐るのです。
気温の高い九州において、何とかしなければならない地域特有の悩みでした。
(モロミとは蒸留する前の焼酎の素のことです。)

それに対する製造方法による改善については前回お話ししました。

モロミの腐敗に関して、その要因がもう一つあったのです。

当時は麹菌に「黄麹菌」を使用していました。
黄麹菌は清酒で使われる麹菌で、気温の低い地域では腐敗による問題は軽減されるのですが、暖かい九州ではそうはいかなかったのです。

そこで一人の人物が(ここでもやはり)沖縄の泡盛に目を付けたのです。“ なぜ、常夏の沖縄で同じ蒸留酒がしっかり造られているのか ”ということです。

 

2.黒麴菌の存在

 

泡盛には「黒麴菌」が使用されていたのです。

黒麴菌の特徴は、

① クエン酸の生成力が強い
② 酵素の力が強い

というものでした。

簡単に言いますと、
クエン酸の役割は「防腐」であり、
酵素の役割は「デンプンを糖化する」ことです。

腐りにくくさせ、デンプンをしっかりと糖化させることで、糖と酵母菌がアルコールを作りやすい状態にしているのです。

先程言いました人物は、自らの研究の末、
泡盛に使われていた黒麴菌の種麹を純粋分離することに成功し、そして、焼酎に適した麹菌に変えたのです。これを「泡盛黒麴菌」と言います。

泡盛黒麴菌が生み出されたことで、焼酎の腐敗による問題は改善され、焼酎の収得率は黄麹菌を使っていた頃より圧倒的に向上したのです。

 

3.白麹菌の発見

泡盛黒麴菌には欠点がありました。

造りを行う部屋、衣類が真っ黒になることです。

そのデメリットに相反するものが「白麹菌」でした。
(尚、白麹菌は泡盛黒麴菌の突然変異によって生じたものとして発見されました。)

それどころか、
酵素の力も一段と強く、焼酎の品質もさらに向上したのです。

昭和30年~40年にかけて、白麹菌は九州全土に広がり、焼酎の品質はこの普及と共に一段と向上していくようになりました。

では、
元々の泡盛菌から泡盛黒麴菌へと変化させ、さらには白麹菌の発見をした人物はいったい誰なのか。

それは、たった一人の人物により、なされました。

その人物について、また、その功績について以下にまとめました。上記と重複する書き方となっていますが、本当に大事なことなので、是非最後までお付き合い頂きたいです。

 

4.『 焼酎の父 』河内源一郎氏の偉大なる功績

 

河内氏は、明治16年(1883年)、広島県深安郡福山町の吉津町に生を受けます。家業が醤油製造業を営んでいたこともあり、中学卒業後は現大阪大学発酵工学科に進学しましたが、家業の不振により、現財務省の役人となり、鹿児島工業試験場の技師として赴任しました。

赴任後間もなく、鹿児島の焼酎工場を視察していたとき、造り手から「今年は残暑が厳しく、せっかく作った焼酎が腐り、歩留まりが悪いうえ、味もよくないし何かいい方法はないか」との相談を受けます。これが麹菌研究の始まりでした。

常夏の沖縄で年中造られる泡盛に目を向けた河内氏は早速、沖縄から泡盛造りで使われる菌の種麹を取り寄せ、本格的な研究を始めました。26歳のことです。

やがて、泡盛菌から焼酎に適した種麹菌の分離に成功し、これは「泡盛黒麴菌」(学名:アスペルギルス・アワモリ・ヴァル・カワチ)と名付けられました。

泡盛黒麴菌により、焼酎造りが飛躍的に向上したのは前述の通りです。

そして、大正13年(1923年)、
いつものように顕微鏡で泡盛黒麴菌を覗いていると、何か異色のものを見付けます。これを分離し、育てていったのです。「白麹菌」の発見です。41歳のことです。

前述した泡盛黒麴菌のような欠点はなく、それでいて性能がいい。河内氏はこれを学会に提出しましたが、学者達に無視されました。それどころか、この白麹菌、当時の焼酎の造り手達にもなかなか受け入れられなかったのです。それは、黄麹菌から泡盛黒麴菌に切り替わったことで腐造がなくなり、蔵が安定創業していたことがその理由でした。

このことをきっかけに、現財務省を退官し、自身で白麹菌の販売と普及を始めました。昭和7年(1932年)、「河内源一郎商店」の誕生です。49歳のことです。

研究を続ける一方で、白麹菌の販売と普及は軌道に乗っていたのですが、昭和20年(1945年)、太平洋戦争のよる空襲を受け、自宅商店は全壊しました。

避難する際、家財は一つも持ち出すことなく、種麹の原種だけを防空頭巾に包んで防空壕へと入りました。また、全壊した自宅商店跡地からひとかけらの麹菌を採取しようと必死に探し続けていた河内氏の姿を鮮明に覚えていると3代目社長は言い残しています。

翌年、工場は再開しましたが、その翌々年、
昭和23年(1948年)3月31日、鹿児島県清水町の自宅で息を引き取りました。66歳でした。

床で眠りにつく河内氏の衣類の乱れを直そうと奥様が布団をめくると、その懐には、純粋分離中の麹菌と蒸し米の入った試験管培養基が発見されました。戦争後の物資不足のため、麹菌を純粋分離するための恒温装置がなく、自らの体温でその温度を保ち、分離させていたのです。

皮肉なことに、河内氏が亡くなったのと同じ年、当時学会に無視されていた白麹菌が、「泡盛黒麴菌の突然変異によって生じたもの」として京都大学、北原覚雄博士によって初めて立証されたのです。(学名:アスペルギルス・カワチ・キタハラ)

 

最後に

 

「河内源一郎商店」の麹菌は現在、本格焼酎の実に8割のシェアを誇っています。
驚異的な数字だと思います。

また、河内氏の後を引き継ぐ社長が、次にお話します「自動製麹機」の製造販売なども行い、河内源一郎商店は更なる拡大をしていきます。

白麹菌は河内氏の亡くなった後、たちまち九州全土へと普及しました。また、白麹菌が正式に立証されたのも同じです。このことを何と言い表していいものか僕にはわかりません。生きてる間に評価されてほしかったと思ってしまうのは僕だけでしょうか。

亡くなる直前まで、「より良い麹菌を」ということに全てを注いだ方です。『 焼酎の父 』という代名詞は偉大なる功績を遺した河内源一郎氏だけに許された言葉としてこれから先も生き続けます。


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